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青山学院

まち協のエコ活動

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宮益坂下交差点から原宿方面、明治通り・宮下公園周辺のエリアです。2008年6月には、明治通りの真下に地下鉄副都心線が開通しました。
地域の発展向上をめざし1988年創立の「明治通り・宮下パーク商店会」を中心に、歩いて楽しく安全な街づくりと商店街の活性化に向けて努力しています。
2010年には、明治通りのシンボルロード(歩道整備)が完成、20年7月には渋谷の新名所、MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)が開業しました。

梨本宮邸「宮下町」の命名の由来は皇族「梨本宮家」邸の下の地域からであります。「梨本宮家」の屋敷は青山美竹町の2万坪の敷地に建坪7百坪の豪邸でした。現在の青山通りの第一園芸あたりが表門、それからダラダラと坂を下り石垣の道を下って、現在高層マンション「青山ツインタワー」(旧旭硝子の社宅)になっているところに御殿の玄関がありました。表門からは美しい桜並木で、「梨本宮家」の住所地は東京都児童会館の所にありました。
宮下町会は宮下町と美竹町の一部を包括して昭和34(1959)年に発足しました。


[インタビュー] 渋谷東横前飲食街協同組合 村山茂代表理事

 

今回は、渋谷東横前飲食街協同組合、通称「のんべい横丁」の代表理事で「鳥福」店主の村山茂さん(64)にお話を伺いました。



横丁ができて今年で61年目ですよ。
当時は栄通りといった現在の東急本店通りや道玄坂の屋台の一部がここに集まってのんべい横丁ができました。
渋谷の東西南北にこうした横丁がありました。今残っているのはここだけですが、最初からの店は6,7軒になりました。


お客さんの顔ぶれは変わっても、お客さんの質は同じなので、ここの横丁文化は、昔のままです。
渋谷の街は、東横線、井の頭線という山の手文化の影響が濃い街です。だから、外に思いっきり発信することもないし、閉鎖的なところもあります。
のんべい横丁もなじみにならないと入りにくいところがあります。


なじむというのは、店に何回くればそうなるというわけではないです。
一種の信頼関係で成り立っている、カウンターだけの店でしょ。同じ空間を共有している、お店の人やお客さんとのコミュニケーションがとれるかどうか、で決まるんですよ。


大体、1時間から1時間半ぐらい腰を落ち着けて、焼鳥食べて中2本か日本酒2−3杯ぐらいで立ち上がるお客さんが多いですね。


横丁というのは、店同士も運命共同体で、お客さんとお店が一緒になって育てるところなんです。


私は、渋谷生まれの渋谷育ち。渋谷は下町っぽい街でなく、品位を大事にする街だと思っています。
渋谷の戦後はオリンピックまでで、それからずっと近代化してきましたが、人が集まるだけでなく品格を大事にした街づくりを渋谷は忘れてほしくないですね。


渋谷は若者の街といわれます。若い人は反社会的なことをやりかねない面もあります。が、渋谷は、若者にルールを教え、守ってあげる、育ててあげる街でもなければいけないと思うんです。


昔は、若い人に酒の飲み方を教える親父がいる店がたくさんありました。
のんべい横丁には、若いお客さんが増えています。摩訶不思議な、新鮮な世界なのでしょうね。なじみになったら、こんな味わいのある、居心地のよい空間はないですからね。街が変わってくると、横丁のある場所の価値が高くなってビルになっちゃいます。横丁が持つ文化は残さなければいけませんね。

   2012.06.20

渋谷宮下町プロジェクト始動!

 

宮下町アパート跡地について、再開発事業の概要が発表されました。地域が切望した再開発がいよいよ始まります。

◆事業概要

1.事業概要
□ 事業名称 宮下町アパート跡地事業
□ 計画地 渋谷区渋谷一丁目23番2
 土地面積 約5,020平方メートル(約1,521坪)
 
2.事業内容
□ 事業目的 多様な都心居住を促進するとともに、渋谷という立地にふさわしい多様な文化ファッション産業等の拠点を形成し、渋谷・青山・原宿を結ぶ人の流れを創出することにより、渋谷地区の特性の強化を図る
□ 用途 地域貢献施設、賃貸住宅、商業施設等
□ 事業手法  70年の定期借地権による民間収益事業
 
3.スケジュール
□ 提案受付 2011年10月31日
□ 事業者決定 2012年1〜2月
□ 竣工 2015年頃
 

◆建物構成イメージ(検討中)
1) 店舗  (権利者店舗を含む)
2) 地域貢献施設 (クリエイターの育成・交流・発信施設)
3) 賃貸住宅 (クリエイター向け住宅を含む)
4) その他  
 

地域貢献施設(低層階に配置)
 地域産業を担う企業やクリエーター等の交流・育成・情報発信その他の創造の拠点にふさわしい施設
 
誘導目標:創造性を刺激する空間を形成
 ファッション・デザイン等産業、クリエーターの育成・交流・発信施設の誘導等

   2011.09.24

宮下公園:誕生から現在まで

 

公園誕生
宮下公園は昭和28年、戦時中の強制疎開でできた空き地に誕生したものだが、山手線と環状五号線(明治通り)にはさまれウナギの寝床みたいに南北に細長いという、立地条件のため利用者も少なく、荒廃するばかりだった。
そこへ日本石油の子会社、日本オートパーキングは「一階を駐車場」に「二階を屋上公園」とする計画を出しこのプランが認可された。
この工事は、昭和40年着工し、昭和41年に竣工された。
宮下公園は全長350メートルと細長い空中公園で、山手線から見える駅周辺の様相も灰色から緑の渋谷へ変貌した。

 

公園の現状
それから、46年が経過して、時代の推移は著しく変化した。
公園を取り巻く宮下地区・神宮通り地区は居住者の減少、幼児の見当たらない街となった。
公園施設も春先から初秋までは老朽化を樹木が覆い隠し、冬から春先は露出された設備の不備を来訪者から告げられた。

  
幼児の遊戯施設を利用する姿はここ数年すくなかった。

 

公園の整備計画
区は昨年6月、公園の命名権をナイキジャパンに売却する方針を公表し、新名称を「宮下ナイキパーク」と定めた。
当初は昨年9月着工し、本年5月オープンを目指したが、公園内生活者支援団体の反対運動で一旦延期する。
区は4月中に着工する方針を表明していたが、いまだに着工出来ない。

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みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」工事着工を監視する活動基地

 

整備計画の即時着手
日本経済については好転傾向が報じられているが、私達渋谷区の商業者にとっては一向に回復の兆しが感じられない。
この様な状況の中で、地域の活性化の切り札として副都心線が開業されたが、地域商店街では、この工期の7年間、夜間から早朝まで工事に協力をしてきたが、その工事の影響で私達の同胞である多くの店舗がこの地を去っていった。

この様な状況から、地区商店会としては、
1.明治通り地下鉄工事後の車・歩道の早期復元
2.宮下公園の整備計画の即時着手
反対運動の皆様には地域のため、周辺商業者の救済の為に是非ともご協力下さい!

   2010.05.21
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