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青山学院

まち協のエコ活動

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宮下公園:誕生から現在まで

公園誕生
宮下公園は昭和28年、戦時中の強制疎開でできた空き地に誕生したものだが、山手線と環状五号線(明治通り)にはさまれウナギの寝床みたいに南北に細長いという、立地条件のため利用者も少なく、荒廃するばかりだった。
そこへ日本石油の子会社、日本オートパーキングは「一階を駐車場」に「二階を屋上公園」とする計画を出しこのプランが認可された。
この工事は、昭和40年着工し、昭和41年に竣工された。
宮下公園は全長350メートルと細長い空中公園で、山手線から見える駅周辺の様相も灰色から緑の渋谷へ変貌した。

 

公園の現状
それから、46年が経過して、時代の推移は著しく変化した。
公園を取り巻く宮下地区・神宮通り地区は居住者の減少、幼児の見当たらない街となった。
公園施設も春先から初秋までは老朽化を樹木が覆い隠し、冬から春先は露出された設備の不備を来訪者から告げられた。

  
幼児の遊戯施設を利用する姿はここ数年すくなかった。

 

公園の整備計画
区は昨年6月、公園の命名権をナイキジャパンに売却する方針を公表し、新名称を「宮下ナイキパーク」と定めた。
当初は昨年9月着工し、本年5月オープンを目指したが、公園内生活者支援団体の反対運動で一旦延期する。
区は4月中に着工する方針を表明していたが、いまだに着工出来ない。

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みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」工事着工を監視する活動基地

 

整備計画の即時着手
日本経済については好転傾向が報じられているが、私達渋谷区の商業者にとっては一向に回復の兆しが感じられない。
この様な状況の中で、地域の活性化の切り札として副都心線が開業されたが、地域商店街では、この工期の7年間、夜間から早朝まで工事に協力をしてきたが、その工事の影響で私達の同胞である多くの店舗がこの地を去っていった。

この様な状況から、地区商店会としては、
1.明治通り地下鉄工事後の車・歩道の早期復元
2.宮下公園の整備計画の即時着手
反対運動の皆様には地域のため、周辺商業者の救済の為に是非ともご協力下さい!

   2010.05.21